人を笑わすのって難しい② (20020725)
てんぼう
ぼくは子供の頃「てんぼう、やあい、てんぼうてんぼう、やあい、やあい、」といじめられていたんだ。
今思えば、ぼくがあんまり育ちがいいものだから、妬まれていただけだったんだけどね。よく「箸より重たい物をもったことがない…」っていうよね。
僕は小さい頃、文字通り、箸より重い物を持ったことがなかったんだ。その上、「おぼっちゃまには、この箸ですら重過ぎます」って、ばあやに箸まで取り上げられて、代わりにいろんな物を持たされてさ。
ある日、いつものように、ばあやがお昼にお弁当を持ってきてね。
箸の代わりに「これをお使いなさいまし、おぼっちゃま」って、僕のもみじのようにかわいらしい手に麻雀の点棒を握らせたんだ。
その日以来、小学校を卒業するまで、僕は「てんぼう」って呼ばれていたんだ。
一人だけ、本当にいたく感動してくれた人がいたのを覚えている。
よくできた作り話だってね。学生の頃、文集みたいのに載せたんだ、この話を。
そのときの文章はもっと長かったけど、ようするにこういう話。
昔から、こんなことばっかり考えていたんだなって、今更ながら自分に感心してしまう。そう、何が言いたいのかというと、この話も前回の「バター話」と同じで、笑ってもらったためしがないってこと。
まぁ「おやじギャグ」には違いないけど、面白いと思うんだけどな。でも、笑ってもらえない。
最近では、入学試験とか就職試験の面接で「あなたの尊敬する人は誰ですか?」って訊かれて「両親です」とか「父です」って答える子が多いって、何かで読んだことがある。(かなり前の話です。)
昔(たとえば昭和40年代)だったら「シュバイツァー博士」とか「勝海舟」とか「パスツール」とか「伊藤博文」とか「孔子」とか「徳川家康」とかの有名人だったのに、とも書いてあった。
確か最近の子は本を読まなくなったことが原因じゃないかって書いてあった。別に孔子のかわりにお父さんを尊敬したって全然かまわないんだけど、偉人の伝記を読んでいないがため、尊敬できる対象を持ってないらしい。
そうだなぁ、「末は博士か大臣か」じゃないけど、僕らの子供の頃は、そういう親の期待もあってか「偉人伝記シリーズ」をよく読んだ記憶がある。
誰だって、あの「野口英世」のお母さんが英世に送った、「ひらがなだけで書かれた手紙」を読んで、一度は涙を流したはずだ。
英世は、まだほんのちいさな頃、お母さんが、ちょっと目を離したすきに囲炉裏に落っこちて、手に大やけどを負ったんだ。どのくらいの大やけどかというと、(どっちの手か忘れてしまったけど)指が全部くっついてしまったくらいの大やけどだったんだ。
それで彼の子供の頃のあだなは「てんぼう」(確か会津の方の人だったから、そっちの方言なんだと思う。)と言ったんだ。
話を最初に戻すと、「てんぼう」が通じるのは、僕らの世代までってこと。
こんな種あかしをしても、やっぱり笑ってもらえない。
まぁいいけどね。
話を英世に戻すと、本当は手術すれば、指を切り離すことができたんだけど、貧乏だったので手術を受けさせることができなかったんだ。
中学生くらいになって指を直してもらったんじゃなかったかな。
そうして、英世は医学に目覚めるわけなんだ。
以後、彼は普通の人の何倍も勉強して、立派なお医者さまになったんだ。そして、自分が医学の恩恵を受けたように、英世も貧しい国の人々のために命をかけて研究を続けたんだ。ほんとに「偉人伝記シリーズ」は純真な子供向けによくできていた。
野口英世の伝記を書くつもりは毛頭なかったんだけど、無学のお母さんは一所懸命勉強して、英世に手紙を書くんだ。
この有名な手紙は、確かどこかにまだ残っているはずだから(英世の実家の箪笥の中とかじゃないよ)機会があったら、是非読むといい。
子を思う母の心は永遠なんだって、心が洗われることだろう。
いったいなんのこっちゃ。
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