中央線の思い出~森崎くんと八王子へ (20061023)
「中央線の車両が一新される」らしい。
中央線と言えば、オレンジ一色の車両と決まっている。
あのオレンジ車両がなくなるならいっそのこと「中央線」という名前も変えて欲しい。
ああ、オレンジの車両がなくなるなんて本当に寂しい。
森崎くんと八王子へ
この話は僕が小学校の3年生の秋のこと。
昭和45年のことだから今から36年も前のことだ。
当時僕は東京都の日野市に住んでいた。
日野市豊田866
簡単な住所だから今でも憶えている。
さて、ある秋の日の学校の帰り道、僕は森崎くんに「遠くまで行かないか」と冒険話をもちかけられた。
「いいよ。どこまで行こうか」
「八王子」
「・・・」
僕は森崎くんの返事に驚いて声が出なかった。
八王子市は日野市の西隣に位置する、僕にとっては「夕日が沈んでいく遠くの国」のようなところだった。
「八王子に行ってみよう」森崎くんは僕の目を見つめて言った。
「どうやって行くの」
「電車で」
森崎くんは、学校帰りに電車に乗って隣町に遊びに行くなんて、あまりに非常識なことを平然と言った。
「お金がないよ」と僕
「俺が持ってるよ」
親ともめったに乗らない電車に森崎くんと二人で乗って遠くに遊びにいくなんてとても恐ろしいことに感じたけど、行けない理由もなかったし、それより何よりなんだか森崎くんに「お前にその勇気があるか」と試されているような気がして僕は八王子に行く決心をした。
当時国鉄の小学生の初乗り料金は確か5円だった。
森崎くんは往復の運賃とプラス小遣いとして僕に40円くれた。
昭和45年のある秋の日の多分午後3時頃、中央線豊田駅から身長125センチ足らずの子ども二人が八王子に向かって旅立ったのだった。
八王子駅は豊田駅の隣駅だけど結構距離はある。
僕は大きな不安と小さな期待で窓の外の景色を見ていた。
森崎くんもちょっぴり後悔しているようだった。
生まれて初めて八王子駅を降りた。
森崎くんも多分初めてだったと思う。
わが町わが駅豊田駅とのあまりの違いに二人とも息を呑んだ。
八王子駅は巨大な駅だった。
改札を出てさらに驚いた。
自分の住んでいる町の隣にこんな大都市があるなんて夢にも思わなかった。
振り返ればそこに八王子駅が見える距離の範囲内で森崎くんと隣町を見学した。
「お好み○○20円より」
いつもはとっくにおやつを食べ終えている時間で二人ともお腹がとっても空いていた。
そこに、まるでタイミングよく目の前に「お好み○○20円より」の看板が現れた。
「なんて書いてあるんだろう」と森崎くん
僕は小学校1年生のくせに「お好み」を「おこのみ」としっかりと読むことができた。○○は読めなかったけど、「お好み」だから、当然あれかとピーンときた。
「お好み焼きだよ」
「お好み焼きが20円っ!お腹空いたから食べようか」
「うん、20円なら帰りの電車賃も残るから食べよう」
森崎くんと二人で店の引き戸に手をかけて「せーの」で思い切り開けた。
おじさんが3人、おばさんが2人いて、一斉にこっちを向いた。
「お好み焼きください」
僕ら二人は元気よく大きな声で叫んだ。
一瞬の間をおいて、まるでお店が壊れるんじゃないかと思われるくらいの大爆笑が起きた。
お店はまだ準備中だったようで、お腹を抱えて大笑いしている5人のおとなは皆店員さんだった。
「坊やたち、こっちへおいで」
カウンターの中のおじさんが笑顔で僕らを呼んだ。
森崎くんと僕は店内をきょろきょろ見て、はじめてそこがお寿司屋さんであることを理解した。
時すでに遅し。
おばさんたちが寄ってきて僕らの手を引っ張ってカウンターまで連れてきた。
カウンター席にちょこんと座らされた僕らはおとなたちに取り囲まれて「どこから来たの」などと質問攻めにあった。
何か聞かれて、僕らが何か答えるたびにおとなたちは大笑いをして喜んだ。
僕は『この人たちは子どもと話をしたことがないのだろうか』と不思議な気持ちになった。
「お好み焼きは無理だけどね」
と言って、カウンターの中のおじさんが僕ら二人にまぐろをひとつづつ握ってくれた。
もうそれはそれはきれいな赤身のまぐろだった。
当時、お寿司なんてめったに口にすることはできなかったし、僕はお寿司屋さんでお寿司を食べたことがなかったから、それこそ握りたての握り寿司を見たのは生まれて初めてのことだった。
笑顔のおとなたちに囲まれて、なんだかとっても照れくさくて恥ずかしかったけど、真っ赤なまぐろの握り寿司はとっても美味しかった。
「それじゃぁ20円づつね」
まぐろの握り寿司は20円じゃなかったはずだけど、今思うと、なにしろ粋な寿司屋だった。
お店の5人全員が店の外まで僕ら二人を見送ってくれた。
「気をつけて帰るんだよ」
「今度はお父さん連れてくるんだよ」
握り寿司ひとつだったからお腹一杯にはならなかったけど、なんだか気持ちよくて胸が一杯になった。
僕の記憶はそこでぷっつり終わっている。
考えてみたらあんないい旅はあれ以来二度となかった。
カウンターでほんとの「お好み」を握ってもらったのも実にあれから20年くらい後だった。
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