人を笑わすのって難しい① (20020718)

 

「昨日の日曜日は家族サービスで豊島園に行ったんだけど、事故があって大変だったよ。あそこには1907年に作られたという有名な大きな回転木馬があってね。それが回転したまま止まらなくなっちゃったんだ。うちの子供も二人乗ってたから、もう、おろおろ、はらはらしてね。だんだんスピードは速くなるし、子供たちの泣き声や叫び声はドップラー効果もあって、グワングワン聞こえて脳みそを掻き回すし、しまいには、あまりに速く回転するものだから、見ている周りのパパ、ママが何人も目を回して倒れちゃってね。

最後は結局電源を降ろすしか方法はないってことになって、1時間近く経ってやっと止まったんだ。それで、子供たちのところに飛んで行ったんだけど・・

・・時すでに遅くて・・」

 

「・・・どうしたの?」

「二人ともバターになってたんだ。」

「・・・?」

「・・・(おいおい、そこで笑わなくてどうすんだ。)」

 

日曜日、風呂に入ってぼーとしてたら閃いたんだ。

「こりゃいける、傑作だ。明日みんなを爆笑の渦に巻き込んでやる。」

一人で勝手に興奮して、寝る時なんか布団の中で思い出し笑いしたりして、今日のこの瞬間を楽しみしていたのに。

 

誰も笑ってくれなかった。

 

普段、反応のいい娘も「引っ張るだけ引っ張って、いったい何が言いたかったの」って顔をしていた。話し方に問題があったのかな、とか、仕事中じゃなくて昼休みにするべきだったかな、とかいろいろ原因を考えたけど分からなかった。

 

この作り話は、結局、受けなかった原因も分からないまま、お蔵入りとなった。

 

それから3年くらい経ったある日、何かのきっかけでふと、この「バター話」を思い出した。僕も職場を変わっていたし、この話に最後のチャンスを与えるつもりで話すことにした。昼休みの一服中「いやー昨日は大変だったよ」身振り手振りを交えて、前回よりずっとうまく話した。つもりだった。

だけど、やっぱり全然うけなかった。だけどこの時に、原因が分かった。

 

この「バター話」は「ちび黒サンボ」のパロディだけど、僕の話を聞いていた者たちが肝心の「ちび黒サンボ」を読んだことがなかったのだ。

僕は小学校の国語の教科書でサンボの話を読んでいたから、義務教育を受けたことのある人間なら、みんな「ちび黒サンボ」を知っているのかと思っていたわけだ。

あんなに楽しいお話なのに、黒人差別だということで問題になって、いつの間にか子供たちの世界から遠ざけられてしまっていたらしい。

まったく馬鹿げた話だ。おかげで僕は掻かなくてもいい恥を二度も掻いてしまった。

 

中学の同窓会の日がやってきた。

 

僕はこの日を心待ちにしていた。同級生は当然みんな「サンボ」世代だ。

今回は大爆笑間違い無し。例のごとく、「いやーこの前の日曜日はまいったよ」無理矢理始めた。

 

「えーそんな事故があったのー」とか女子に言われながら、ドキドキのクライマックスに突入した。

「・・・時すでに遅くてね、ふっ」

みんな僕の話しに釘付け状態。息を呑む静寂。

 

っと、その時誰かが

「バターにでもなってたか?」

ぽつりと言った。

 

この話の教訓は、「僕が思いつくことなんて、きっと誰かも思いつく」ってこと。

それと悲しいことだけど、「自分が面白いからといって、他人も面白いとは限らない」という極々当たり前のこと。

あの時、気の利かない馬鹿が落ちを言わなければ、きっと大爆笑になってたはずだと本当は今でも思ってるんだけどね。

 

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