グリム童話に学ぶ、現代で勝ち抜く知恵③ (20020803)

 

よぼよぼのおじいさんと孫

 

グリム童話から学ぶシリーズの第3回目は「よぼよぼのおじいさんと孫」です。

たいへん短い童話です。ところがどっこい、侮ってはいけません。

その作品の偉大さは、その作品の大きさや長さなどに、決して比例しません。たった2分足らずのビートルズの名曲「シー ラブズ ユー」の偉大さは、ベートーベンの交響曲の偉大さにだって匹敵します。

きっと。

 

さて、「よぼよぼのおじいさんと孫」を一緒に読んでみましょう。 省略しようもないくらいに短い作品ですから、そのまま載せますね。

 

昔々、たいそう歳をとった男がいた。

目はかすんできたし、耳は遠くなるし、ひざはがくがくふるえていた。お膳にむかってもスプーンをしっかり持てず、おつゆはこぼすし、口にしたものが、また口から流れ出たりするしまつだった。息子とその妻はそれがいやでいやでたまらなかった。

それでこのよぼよぼのおじいさんは、とうとう暖炉の後ろの隅っこの方に座ることになって、息子夫婦はおじいさんの食べ物を瀬戸物の小皿に入れてあてがった。おまけに、腹いっぱいあてがったことがなかったものだから、おじいさんはしょんぼりと家族が座っているお膳の方を見ていたけれど、その両方の目はだんだんうるんできた。

あるとき、おじいさんのふるえる手は、小皿もしっかり持てず、皿が床へ落ちてこなごなに割れてしまった。

息子の妻は叱りつけたけれど、おじいさんは何も言わず、ため息をつくばかりだった。

息子の妻は安い木の小皿を買ってやって、それでおじいさんは食べるよりしかたがなかった。

 

家の者が、そんなふうにして座っているところへ、4歳になる孫が床の上に小さな板切れを拾い集めてきた。

「何をこしらえるんだえ?」と父親が訊いた。

「箱をこしらえるんだよ」と子供が返事をした。

「あたいが大きくなったらこれでお父ちゃんやお母ちゃんに食べさせてやるんだ。」

これを聞くと夫婦はしばらく顔を見合わせていたけれど、しまいに泣き出して、すぐさま、よぼよぼのおじいさんをお膳のところへつれてきて、それからというものはいつでも、一緒に食べさせた上、おじいさんが少しくらい物をこぼしても、何も言わなかった。おしまい。

 

いったい、4歳の孫がどんな箱を作ろうとしていたのか、これだけでは想像もつきません。

大好きなお父ちゃんとお母ちゃんが年寄りになったとき、食事に困らないようにという目的で作ろうとしたのか。

それとも、両親が自分の親であるおじいさんにしている仕業を見て、「あたいだったら、犬のごはんを入れる箱みたいので食事を出すよ、そしてそれを床に置いて、手も使わせず、犬みたいに直接顔を箱の中に入れさせて食べさすのさ、そうすれば、手も床も汚すことはないからね」という考えで作ろうとしたのか。

その後の両親の行動を見てもやっぱり分かりません。

もし、子供のしぐさに親を思う子の愛情を感じたとしたら「ああ、俺も子供の頃は父ちゃんが大好きだったなぁ。その父ちゃんに俺はいったいなんて親不孝なことをしてるんだろう」という反省から心を入れ替えたのでしょう。

もし、子供のしぐさに「歳をとった親は粗末にしてもいいんだ」という考えが見てとれたのなら、「おお怖い、俺が親父を粗末にしてるのを見ているものだから、この子も俺を粗末にするつもりだぞ」という恐怖感で心を入れ替えたのでしょう。

でもまぁ、素直に受け取れば、息子とその妻は、我が子の優しい心に打たれて、おじいさんに対する扱いを改めたと解釈すべきなのでしょう。

 

成功への知恵.親を大切にする者は、きっと将来自分も子供に大切にされる。

 

「なんで、これが成功の知恵なの?」と思われるかもしれません。

人生80年の時代、リタイアしてからが長いのです。明るい老後を迎えられて、初めて人生の成功者と言えるのです。

高齢化が進む中、避けて通れない問題が「年金」です。

だんだん、社会保険労務士のホームページらしくなってきました。

僕はこのまま少子高齢化が進めば、現在のシステムでは公的年金は、いずれ行き詰ってしまうと思います。当然考えられるのは、保険料方式から税方式への転換ですが、いずれにせよ、現役世代の負担が大きいことには変わりありません。

頭のいい方々がうんうん唸って一所懸命考えているようですが、僕も僕なりにまじめに解決策を考えました。

 

年金問題をどう解決するか、答えは儒教にある。

 

儒教は孔子の教えです。孔子は理想の社会に至る方法として「親子の絆」を根底とした社会の仕組み考えました。

・両親を大切にする。・・・「孝」

・両親と同じようにまわりに人々も大切にする。・・・「仁」

・その大切にするという気持を形にする努力も大切である。・・・「礼」

 

公的年金といったいどういう関係があるのか、そう思われるかもしれません。

それが関係あるのです。

公的年金はいわば現役世代が「お父さん・お母さん世代」を金銭的に助けるというものです。

「高い保険料を毎月払っても、自分が歳とったときに微々たる額しかもらえないのなら保険料は払いたくない」といって実際に保険料を滞納しているわがままな方々が全国に何百万人もいるといいます。

この方々は将来ほんとに微々たる額しかもらえないか、もしくは全然もらえない可能性が高いのです。

お金持ちで、年金なんかちっともあてにしていないという人ならば問題ないけれど、そうでない人は「蟻とキリギリス」のお話ではないけれど、歳をとってから後悔しても遅いのです。こういう方たちは言うに及ばず、将来、経済的に楽をしたい方々がこれからやることは二つ、一つはもちろん年金保険料はちゃんと払うこと、もう一つは子供を親孝行に育てること。

将来、年金制度は決してなくならないでしょうが、贅沢ができるほど年金がもらえるとも思えません。

ある程度の経済的援助を子供にみてもらうという社会的な必要性が将来出てくる可能性は、僕は高いと思います。その時代の現役世代は、高い年金保険料もしくは税金を払いつつ、自分の親にも仕送りをするというのですから、僕らの世代では考えることすら不可能な親孝行世代です。こんな新人類は一朝一夕にはできません。

今すぐにでも「自分の子供には幼少時から徹底的に儒教を叩きこまなくてはいけない」という方針を、国は打ち出すべきです。

儒教は哲学であり、宗教ではないので、憲法上の問題もありません。

 

グリム童話に話をもどしましょう。

国が「儒教のおふれ」を出さないことも考えられるので、ここはやっぱり自分の身は自分で守るという「自己責任」のルールに則り、自分自身で我が子を親孝行に育てましょう。そして、基本はやはりグリムの教え「自分の子に大切にされたければ、自ら自分の親を大切にしなければいけない」。

そういう結論で。

やっぱりグリム童話は勉強になりますね。

 

 

 

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