エリック・クラプトン (20100508)

 

最近「エリック・クラプトン自伝」を読んだ。

エリック・クラプトンの名前を初めて知ったのはいつ頃だろう。

記憶を辿ってみる。

僕がギターに興味をもったきっかけは、ジェフ・ベックだ。

中学2年のとき、ラジオの深夜放送で聞いたジェフ・ベックの「哀しみの恋人たち」に衝撃を受けて自分もギターを弾きたいと思った。

たまたまタウン誌の「売ります・買いますコーナー」に『ヤマハのギターを5千円で売ります』とあって、電話をしてから日曜日に持ち主の自宅に見に行った。ヤマハの中古ギターはクラシックギターだったけど、僕は当時ギターにいろいろな種類があることを知らなかったので、表面がピカピカ光ってまるで新品のように状態のよかったそのギターを何のためらいもなく5千円を払って買った。

 

さて、とりあえずギターを手に入れ、かねてから「弾きたい」と思っていたギターソロをコピーして弾くことにした。

ジェフ・ベックのように弾くのが夢だったけど、さすがに初心者に「哀しみの恋人たち」は難しすぎると思ったからか、僕が教材に選んだのは、オールマン・ブラザーズ・バンドのギターソロだった。

ジェフ・ベックはもちろんのこと、教材用にラジオで流れるジミヘンやピーター・フランプトン、ピンク・フロイド、ドゥービー・ブラザーズ、クィーン等々の曲をたくさん録音しておいたが『これなら弾けそうだ』と思ったのがオールマン・ブラザーズ・バンドのギターソロだった。

ところで、クラシックギターで実際にロックのギターソロを弾こうとすると、ロック・ギターに欠かせないテクニックであるチョーキング(弦を指で押し上げて音程を変える技術)がとても困難(というかほとんど不可能)であった。

それでも頑張ってチョーキングをしていたら、「クラシックギターじゃチョーキングは無理だ」と4歳上の兄に言われて、初めて自分の買ったギターがクラシックギターという楽器で、しかもロックを弾くには不向きなことを知ってショックだった。

しかし、今更どうしようもないのでめげずにオールマン・ブラザーズ・バンドのファーストアルバム、セカンドアルバム、ライブアルバム(フィルモア・イースト・ライブ)のギターソロを耳から一所懸命コピーして練習した。

 

そういえば、「デュアン・オールマンは、ソロを弾いていないときは、コードを弾いているんだよ」と教えてくれたのも兄だった。

僕は「コード」が何か知らなかったので、兄の言っている意味もわからなかった。

 

中学2年の夏休み前だったと思うが、ある日の放課後T君がレコードを持って家にやってきた。

T君のもってきたレコードはデレク&ザ・ドミノスの名盤「レイラ」だった。

T君は、「入来院はオールマンが好きだと聞いたから」といって頼んでもいないのに、そのレコードを貸してくれた。レイラは素晴らしい曲と演奏に満ちた凄いアルバムだった。

僕の大好きなデュアン・オールマンのプレーはもちろん凄かったけど初めて聞いたクラプトンのプレイには本当に感動した。

 

クラプトンに興味をもって少し調べてみた。

当時スワンプロックとかサザンロックが流行していてラジオでしょっちゅう流れていたけど、流行のきっかけはクラプトンの「461オーシャン・ブルーバード」というアルバムだった。

僕がオールマン・ブラザーズ・バンドを好きになったのもラジオで聞いたのがきっかけだったけど、オールマンやマーシャル・タッカー・バンド、レーナード・スキナードといったサザンロックの流行のきっかけは実はクラプトンのアルバムにあるということを知り、さっそく「オーシャン・ブルーバード」を買った。

35年前である。

クラプトンとの長いつきあいが始まった。

 

前置きが長くなってしまった。

 

「エリック・クラプトン自伝」は彼が62歳(2007年)の時の著作で、還暦を過ぎて幸福な家庭に落ち着いたクラプトンのまるで懺悔の書である。

この本で、彼はここまで書いていいのかと思うほど、自分の辿ってきた人生を赤裸々に綴っている。

 

クラプトンの人生は、「酒と女と薬」の人生である。

彼のまわりでは彼にとってかけがえのない友人や家族が「これでもかっ」というくらい死んでいくけど、クラプトンだけは、酒と女と薬で雑巾のようにボロボロのどうしようもない状態になると、いつも必ず友人に支えられ、新しい音楽を作りながらなんとか立ち直っていく。

クラプトンは、ロック・ミュージック史上、最大の成功者だが、その成功の陰に多くの犠牲者の屍が累々と横たわっている。

 

彼は多くの女を道連れに破滅の人生を歩んできた。

 

彼の破滅人生は、そのごく初期に実の母に自分を拒絶されたときから始まった。

彼は祖父母を両親として育ったが、感受性の強い彼は、小学校に上がる年頃には隠された自分の境遇を知るところとなる。

 

9歳になった1954年に、実の母親が突然人生の中に現れた・・」(32ページ)

ある日、カナダ人兵士と結婚し幸せに異国で暮らしていたクラプトンの実母が父親の異なる6歳の弟と1歳の妹を連れて一時帰郷してきた。

「その時には彼女に関する真実を知っていたし、ローズとジャック(祖母と祖父)もそのことに気づいていたが、家に着いても誰も何もいわなかった。ある晩、小さな我が家の居間に全員が座っている時に、私は口を滑らせてパット(実母)にこういってしまった。「おかあさんって呼んでもいいの?」一瞬気まずい雰囲気になった部屋の中には耐えがたい緊張感が走った。暗黙の真実がついに明るみに出たのだ。すると彼女は思いやりのあるいい方でこういった。「一番いいのはね、これまで世話をしてくれたおばあちゃんとおじいちゃんを、お母さん、お父さんと呼ぶことなのよ」。この瞬間、私は完全に拒絶されたと思った。

彼女のいったことを受け入れ、納得しようとしたが、それは私の理解の範囲を超えていた。彼女が自分の腕の中で私の髪をなで、彼女のいた場所へどこへでも連れていくものと期待していた。耐えられない失望感はたちまち憎しみと怒りに変わり、全員にとって厳しい事態になった。拒絶されたと思ったため、私は無愛想で引っ込み思案になり、全員の愛情を拒否した。」(3233ページ)

 

僕は過去に多くの自伝を読んできたけど、こんな悲しいエピソードは記憶にない。僕はこの箇所を読むたびに胸が締め付けられて涙が止まらなくなる。

 

クラプトンのその後の破滅的な女性遍歴の原因は、この想像を絶する悲しい体験が原因となっているし、彼の内向的内省的な性格を決定づけたのもこの体験が原因だ。

クラプトン少年は悲しい現実から逃避するために想像の世界に逃げ込みストーリーの創作に没頭していた。それは彼にとっては「生活の知恵」であったが、その特技が後の音楽創作で大きく花開くことになる。

 

ところで、クラプトンはこの本のエピローグで非常に興味深いことをいっているので紹介したい。

 

「私の見たところでは、現在の音楽状況は私の少年時代とさしたる違いはない。95%はまがい物で、5%が本物というおおまかな比率は同じだ。しかし、一方ではマーケティングとディストリビューション(流通)のシステムが大きな転換期に入っているので、現在あるレコード会社のどれ一つとして10年後に存続している見込みはないと思う。」(471ページ)

 

いつの時代も本物の音楽は5%しかないとクラプトンはいう。

これはいい方を変えれば95%の人間は本物の音楽よりも偽物の音楽を好むということだ。

多分、これはその通りなんだと思う。

そしてこれは音楽だけに限らないんだろうとも思う。

さらに、現在あるレコード会社は10年後には全滅しているという恐ろしい予言を「まるで当然のこと」のように実にあっけらかんと語っているところが面白い。

そして、多分これもその通りになるんだろう。

 

僕は最近、「電子書籍の衝撃(佐々木俊尚)」という本を読んで知ったのだが、この10年の間に音楽の世界で起きたことが、どうもこれからの10年の間に出版の世界でも起こるようだ。ようするに多くの出版社が10年後には存在していないということだ。

 

クラプトンは、この大きな転換期がもたらす大きな変化を「すべての関係者にとって、これは大きな損失にはならないはずだ」と語る。

そうすると、電子書籍の衝撃も、きっと音楽と同じように、すべての出版関係者にとって、大きな損失にならないならないのか、というと、それはどうか僕にはわからない。

 

「クラプトンは、内気な性格なんだよ」クラプトンを聞き始め、彼のプレイのコピーを始めた中学2年の頃、兄がクラプトンの性格や音楽遍歴をいろいろ教えてくれた。

アルバム「レイラ」のレコードジャケットを開くと、クラプトンがデュアン・オールマンやジム・ゴードン(ドラム)らのバンド仲間とレコーディングの合間にプールで泳いでいたり、遊びおどけはしゃいでいるシーンを撮った写真がたくさん貼ってあった。

僕は、彼の力強い歌や演奏とレコードジャケットの写真から、クラプトンの「内気な性格」がどうしても想像できなかった。

 

考えてみると、当時4歳上といってもまだ高校生だった兄が、どうしてあんなに音楽やミュージシャンのことをいろいろ知っていたのか今さらながらに不思議である。

 

 

 

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